私が育った家の近所に,同学年で仲の良い田中君(仮名)がいました。
田中君とは,将棋を中心にインドア系の遊びを一緒にしました。
同じ小学校では将棋の強さで,私と田中君が1位を競い合っていました。
中学校でも同じクラスになりましたが,一緒に遊ぶことはなくなりました。
大学生の頃にも数回会うことがあり,語り合ったことがあります。
そのときは,恋人との関係がうまくいっていないとか,そんな話をしていました。
後で田中君の友達から聞いた話によると,田中君が恋人に暴言や暴力をふるってしまい,そんな自分に悩んでいたとのことです。
田中君はその後,就職しましたが,人間関係に難しさを感じて退職。
すべてを捨て去り,石垣島に移住していきました。
どこかつかみどころのない,影のある人でした。
そんな田中君の両親は典型的な世間体や見栄を重視するタイプでした。
世間体や見栄を重んじ 我が子を放置した結果
家の中で一人ぼっちの田中君
田中君の両親は,どちらも小学校の教員でした。
両親とも,夜遅くに帰宅します。
食事はどうしていたのでしょうか,聞いていないのでわかりません。
両親の帰りは平日も遅いのですが,土日も家にいないことが多くありました。
田中君の家に遊びに行くと,よく,両親は仕事で留守とのことでした。
まだ小学校低学年の頃からです。
食事は,カップラーメンや,弁当,出前などで済ませているようでした。
田中君には4つ年上の兄がいましたが,兄は野球を習っていたり,友達のところに遊びに行ったりで,これまた家にいないのです。
田中君の家に遊びに行くと,田中君が一人でお湯をわかしたり,電話を使ったりしているのを見て,なんとなくすごいと感じたのを覚えています。
犬への接し方
田中君の家ではコロという犬を飼っていました。
外につなぎ,犬小屋を設置して飼っていました。
犬小屋の周りには,ドッグフードが大量に入った箱が置かれています。
田中君「たくさん入れておけば,エサを毎回あげなくてよいから楽だから」
私「ん?エサがくさらない?」
田中君「大丈夫だよ,コロ,生きてるから」
そのときは,軽く聞き流してしまいましたが,最低な飼い主です。
特に,田中家が旅行に行くときは,エサを与え忘れることもままあり,隣の家の人や,私が自分の飼っている犬のエサをあげるなどしていました。
いたずら電話
田中君に,「いつも両親が不在なのは寂しくないか?」と聞いたことがあります。
それに対し,田中君は「別に。慣れてるから」と答えました。
当時は私も小学生。
さみしい気持ちもすぐに慣れるのかと納得しました。
むしろ両親が不在で,ゲームもテレビもなんでもやり放題な田中君を少しうらやましく思っていました。
しかし,実際は,さみしさで田中君の心は麻痺していたのです。
田中君は「いたずら電話」をかけることを趣味にしていました。
田中君の家に遊びに行くと,田中君はよくどこかに電話をかけ始めるのです。
田中君「適当。ライブハウスとか,お店とか,知らない人とか。」
私「え?なにそれ,なんでそんなところに電話するの?」
田中君「ひまつぶし。なんとなく楽しいから。」
この会話の内容も,私は適当に流していました。
子どもの頃は,何か変だと感じても,相手が堂々としていると不思議にそれを普通の行為だと受け止めてしまうことがありますよね。
田中君は,いろいろなところに電話をかけていました。
かける先は「電話をかけると情報を伝える声が流れてくるところ」や,「相談にのってくれるところ」,または「お店」や「何かの施設」などです。
電話をかける目的は,自分が話をしたいというよりは,相手から何かを言われたいという感じでした。
大人になった今なら,もちろんすぐにわかります。
田中君はさみしくてさみしくて仕方なかったのです。
誰でもいいから,自分に何かを言ってくれる人,相手にしてくれる場所を探していたのです。
田中君の両親は
田中君の両親は近所の人に会うと,大人だろうと子どもだろうと,涼しい顔をして挨拶をします。
近所の人とは特に深い関りをもたず,波風をたてるようなこともしません。
当時の私は,「穏やかで優しそうな両親だな」という印象を受けました。
田中君の両親は,校長へと出世するために,月に何度も自宅に教育委員会の人やその他仕事の関係の人を呼び接待をしていました。
接待のために,当時は珍しい最新式のカラオケができる高額な機械を設置していました。
マシンを使って曲のスピードを速くしながら一緒に遊んだのをよく覚えています。
自分の子どもと接する時間はほどんど作らないのに,出世を目的とした接待の時間を作るのには余念がありませんでした。
田中君の両親はともに校長になりました。
田中君の兄
田中君には兄がいました。
兄弟はお互いに関わらないようにしているようでした。
田中君に兄の話を聞いても「よくわからない」といつも言っていました。
田中君の兄はものすごく性格に問題のある人でした。
人に意地悪なことをして快感を感じるのです。
田中君の兄は,学校にいる知的障害のある人を陰でいじめて楽しんでいました。
学校の先生は狡猾な子どもが陰で行ういじめに全く気づいていませんでした。
大人を簡単にあざむける怖い子どもがいますね。
私が小学校2年生の頃,田中君の兄は6年生。
私はこの兄が大嫌いで,一度激しく言い合いをしたことがありますが,残念なことにけんかでは勝てません。
本当にひどい性格でした。
ひどいことをして心の隙間を埋めるという人間に.両親から育てられてしまったのです。
大人になった後の田中君の兄の消息は知りません。
田中君が書いた作文
田中君が小学生の頃に書いた卒業文集に興味深いことが書かれていました。
「人の優しさの意味がわからない」と書いてあるのです。
「(田中君が)人から嫌がらせを受けたとき,同じクラスの子がそれを助けてくれた。
その優しさの意味がわからない。なぜ助けたのだろう」と書いてあります。
おそらく,助けてもらってうれしかった気持ちが上手に表現できないために,そうした感想を抱いたのでしょう。
世間体ばかり大事にして,両親から必要な愛情をもらえない田中君は,自分の気持ちや人の気持ちを理解するのがとても苦手でした。
一家離散
田中君の両親はその後離婚をしました。
田中君の兄は,どこかへいったきり消息がわからなくなったとのことです。
田中君自身も,自分が育った地元の環境と縁を切り,石垣島に移住していきました。
結局田中家は,お互いに誰も深い心の結びつきをもつことなく,バラバラになってしまいました。
まとめ
この話は特に派手な事件が起きたり,大事なことが学べたりするという話ではありません。
小学校の頃に仲良く遊んだ友達の家庭について知っていることをたんたんと述べただけです。
私が出会った人間の中で,田中君と同じく両親が仕事&世間体にばかり力を傾ける人だったというタイプの人が数人いました。
そうした人の両親は,ほとんどが①我が子の成長にはあまり関心がない,②我が子の目だった活躍や良い成績のみを賞賛する,というタイプでした。
そして,そうした両親に育てられた人は,自分の心を理解せず,また人の気持ちを理解しようとせず,他人を平気で深く傷つける人が多くいました。
俗な表現になりますが,「心に闇を抱えている」人たちでした。
人を思いやる心や自分自身を大切にする心を育てるのに,両親の愛情は不可欠です。
少なくとも「世間体&仕事の出世欲や見栄」に「子どもへの愛情」が負けてはいけません。
負けてしまうようなら親である資格はありません。
忙しい中でも,少しでも我が子と向き合う時間を作り,我が子の心の声に耳を傾け,愛情を注ぎ続けていくのが親の役割です。
もちろん,まずは私自身が我が子ときちんと向き合い続けていきます。
ちょっとさみしい話でしたね。