たった一人で敬語文化に反抗してみた

敬語って本当に必要なの?

大学生の頃,敬語に対して疑問を抱いた時期がありました。
「どうして年齢が上というだけで,相手を敬わなければならないのだろう」と考えたのです。
相手が尊敬できる対象であるかどうかは相手のことをよく知らなければわからないのではないか?

また,こうも考えました。

敬語を使うということは上下関係が生じているということ。
よって「敬語を使うと平等に意見を言い合うことができないのではないだろうか。」と。

若かりし頃の私。
ある意味ものすごく人間関係を真面目に考えていたんです。

みなさんも人生の中で一度くらいは同じようなことを考えたことがありませんか?

いざ敬語に対して疑問を抱くと,それが頭から離れなくなってしまいました。
そこで,私は敬語を一切使わないようにしようと決断したのです。

1人ぼっちの戦い

敬語なくそうキャンペーンの結果

さあ,その結果人間関係にはどのような影響がでたのでしょう。

大学の先輩や,バイト先の先輩をはじめとして,自分よりいくつ年齢が離れていてもいわゆる「タメ口」で話してみました。

およそ三分の一の人は,特に敬語で話していたときと変わらずに相手をしてくれました。

そのまた三分の一の人は,最初は多少とまどっていましたが,しばらくすると年下君のため口に慣れ,以前と変わらずに話をしてくれました。

そして残りの三分の一の人は怒らせてしまいました。
中には怒り心頭で殴りかかってきた方もいました。

この「敬語なくしましょうキャンペーン」は半年ほどで終了しました。
なぜなら,私が精神的に疲れてしまったからです。

日本社会は基本的には年功序列社会であり,敬語が日常的に大きな役割を果たしています。
たった一人で(他にもいるかもしれませんが)この日本の慣習をとっぱらうことに挑戦しました。
敬語を使わないと,それに対する年上の人の反応が様々でてきます。
それに合わせて以前よりも人間関係において多くの気を使わなければいけなくなりました。
敬語をなくすことによって「誰とでも同じ立場で自由にものを言い合える」という当初の目的はどこへやら。いろいろと気を使って,言いたいことがどんどん言えなくなっていきました。

このキャンペーン中,私にとって年下の人には私に対する敬語を一切使わないように頼みました。これも相手がなかなか「ため口」で話してくれないためうまくいきませんでした。

こうしてたった一人の敬語なくそうキャンペーンはひっそりと幕を閉じました。

敬語の役割

現在ではプライベートでも職場でもそれなりの敬語を駆使してコミュニケーションを図っています。
相手の立場や関係に合わせて敬語の使い具合を調節することで,より円滑な人間関係を構築することができます。

敬語は敬意を示すだけでなく,苦手だと思うような人に対して距離を取るのにも使えます。

私は一時的にでも「敬語文化」へ反旗を翻してみましたが,敬語はいいとか悪いとかで語られる問題ではないでしょう。

言語はその国の文化を表すものです。
文化は時代とともにどんどん変化していきます。
文化やコミュニケーションの形が変われば,それに合わせて「敬語」の在り方も変わっていくでしょう。

まとめ

私の試みた実験は失敗に終わりましたが,すべてが悪い結果となったわけではありませんでした。

私が「タメ口」で話しても全く気にしなかった一部の大人の方々とは,本音で熱い討論をしたり,同じ土俵でふざけあったりすることができました。

消防士のTさん,中国の留学生のGさん,風来坊のKさん。
年齢はかなり離れていましたが,同級生のように楽しく語り合ったことは今でも忘れません。

40代になり,すっかり敬語を上手に使いこなしている私。
若かりし頃のような無謀な挑戦をしなくなった今日この頃。

無謀でなくとも,ちょっぴりでも自分の生き方を変化させるような行動をたまにはしてみたいものですね。

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