人の目を気にする風土は「5人組制度」により培われた
日本人は集団主義の傾向が強い
日本は集団主義の色合いが強い国です。
他人はどう考えているのか,他人にどう思われるのかを強く気にする傾向があります。
集団主義は,日本の文化と言えるほど強く人々の意識に定着しています。
この意識はある世代に共有される一過性のものではありません。
千年以上前から共有され,受け継がれてきた,いわば遺伝子に刻まれているようなものなのです。
「この意識はなぜ日本に根付いたのでしょうか。」
それは,ずばり江戸時代に幕府が民衆を統制するために用いた仕組みが関係しています。「5人組」という連帯責任システムです。
5人グループを組まされ,その中でお互いの見張り合いを200年に渡り強制されました。この見張り合いこそが,現在の日本人の負の集団主義を確固たるものにしたのです。
五人組制度とは
5人組は,江戸時代の村や町における末端の行政組織でした。
町人も農民も近隣の5戸を単位としてグループを組まされました。
この仕組みは,安定した年貢の徴収,治安維持,キリシタンの取り締まりを目的としていました。
グループの一員で年貢を納めない者がいた場合はそのグループが連帯責任を負わされます。またグループ内で決まりを守らない者や犯罪者がでたときは,密告を強制されます。密告せずに,かくまったりすると処罰されました。
最悪の場合,連帯責任により打ち首になることもあるのですから大変です。
グループを組んだ者同士で目を光らせることになりました。
こうして日常的にお互いを監視する習慣がすっかり染みついていきました。
他人を監視するという意識はその逆に自らの監視されるという意識を強めます。
人々は常にまわりの人からどう思われているのかを強く意識するようになっていきました。
5人組制度の真の目的
この制度には,治安維持や安定的な年貢の徴収以外にもう一つ大事な目的がありました。政権への不満や監視の目を,大衆同士に向けさせる目的です。
大衆は,いつの時代も政権に対して多かれ少なかれ不満を抱くものです。
この不満が蓄積すると一揆などが勃発し,政権を揺るがしかねません。
幕府にとって5人組は,大衆の不満の矛先を,政権以外のものに向けることが大きなねらいでした。
この目的は十分に達成されました。
なんとも悲しい話ですが,人々は上手に操られてしまいました。
「5人組」制度は江戸幕府の長期政権を支えるのに大いに役立ったのです。
5人組制度は江戸時代だけの制度ではなかった!
江戸時代の5人組制度は,1597年,豊臣秀吉が治安維持のために下級武士や農民を対象に5人組を組織したことに端を発します。
江戸幕府はこの秀吉が作った制度の有用性を知っていたため継承したのです。
さらに時を戻します!
なんと5人組の雛形ともいえる制度は,7世紀後半から10世紀ころの古代律令制時代に既に存在しているのです。
このときのグループの名称は「五保」といい,同じく5戸を1単位としていました。5人組のように徴税や治安に関して連帯責任を負います。
逆に時を進めてみます。
5人組制度は近代に入っても形を変えて生き残っていきます。
第二次世界大戦中には「隣組」という名前で,戦後は「町内会」という名前で,5人組と同じような仕組みが継続されていきました。
統治しやすいシステムは理想的なシステムなのか?
5人組制度は幕府にとって非常に都合の良いシステムでした。
資金や手間や人手を使わずとも,大衆自ら政権維持のために働いてくれるからです。このため,江戸時代は世界に例を見ないくらい安定した平和な時代となりました。
安定と平和に寄与したこのシステムは国を治めるのに理想的なシステムなのでしょうか。
統治者にとっては理想的かもしれませんが,人々を本当に幸せにするシステムとは一概には言えません。
結果的に「安定」と「平和」を生み出せたからと言って,正しいかどうかは別に考えなければなりません。
個を活かす社会をつくるための方法
集団主義の傾向が強くなりすぎると,個人が生きづらくなります。
集団からの同調圧力が強くなり,個性が尊重されづらくなります。
人々が必要に応じて適度に協力し合い,多様な個性を持つ人々が,それぞれの力を発揮しながらお互いを認め合う社会が理想的です。
「個をより活かす社会をつくるためにはどうすればよいでしょうか。」
学校に根付く集団主義風土の改革
最も手っ取り早い方法は,学校に根付く集団主義を改善することです。
集団主義思考の基本は学校で養われています。
小学校,中学校,高校と,子どもたちは嫌と言うほど集団生活の中で,まわりに合わせることを学ばされます。
もちろん集団生活の中で,大切な「協力」「コミュニケーション」も学びます。
しかし,間違った「集団主義」による旧態依然とした指導がまだまだはびこっており,集団主義の負の面も多く学んでしまいます。
その最たるものが「連帯責任」です。
指導者は個人が犯した過ちに対し,集団に責任を問うようなケースが後を絶ちません。
集団の場で誰かが和を乱した行為をすると全員が怒られることが日常茶飯事です。
卒業式や運動会では,集団での動きを統一するために十数時間も時間をかけて練習をします。動きを間違えた人がいると,集団への指導がなされ,全体で動きのやり直しが行われます。
「こうした時間は大幅に削減するべきではないでしょうか?」
「大事な行事」「大事な式」という名目のもと,長時間の練習を通して,過剰な集団主義が刷り込まれていきます。
討論の時間の創設
個が活きるためには,自らの意見や考えをしっかりと言えるようになることが効果的です。この対極にある図が,「まわりの目を気にして,意見が言えない」状態です。
そこで,小学校中学年くらいから討論を定期的に学習する時間があるとよいのではないでしょうか。
討論は,訓練すればするほど上手くなっていきます。
相手を上手に説得しようと,次第に議論の技術を身に着けていきます。
自分勝手な言い分や,力任せな話し方では通用しないことを学びます。
個人の自分勝手を通そうとしてクレームのような意見を述べるのとは違い,集団のことをしっかりと考慮した建設的な意見が言えるようになります。
討論をすることによって「考える姿勢」「論理的な思考」「集団の中で自分の考えを表現する力」が培われます。
これらの力はいずれ社会人として世にでた際に,社会を前向きな姿勢で変えていこうという原動力になるのではないでしょうか。
まとめ
日本人が集団を重んじるルーツが,江戸時代に制定された「五人組」によるものであることについてみてきました。
また,そこから発展させ,個人が生きやすい社会をどうすれば作れるのかについても考えてみました。
集団が否定的に書かれているように感じる人がいるかもしれません。
決して集団自体を否定しているわけではありません。
人は集団の中でこそ生きられるのであり,お互いに助け合い協力し合い,活かし合うことが重要です。
ただし,五人組に見られるように,間違った人と人との繋がり方や,集団主義が社会の中には多くみられます。
多様な人々が個性を発揮し,それらの個が集まって協力していける社会を築きたいものです。