世界初の全身麻酔薬開発のために犠牲となった母と妻

偉業を達成するための犠牲はどこまで許されるのか

世界初の全身麻酔を使った手術は,なんと日本で行われました。
手術を行ったのは,医師の華岡青洲。
江戸時代後半,1804年の話です。

乳がんを患っている60歳の女性への手術に全身麻酔薬が使われました。
手術は成功したのですが,女性は4か月後に亡くなりました。
なぜ亡くなったのかは定かではないのですが,手術による影響や,乳がんが転移していたことなどが理由と考えられています。

このとき全身麻酔のために使われたのが「通仙散」という飲み薬。
華岡青洲が開発した薬です。
古くから中国でチョウセンアサガオやトリカブトが鎮痛剤として使われたことを書物を通じ知った青洲は,この2種類の材料と数種の薬草を混合し通仙散を発明しました。

自分の母と妻を使った人体実験

麻酔薬開発

この薬を完成させるために,なんと彼は実の母親と妻を犠牲にしているのです。
二人とも自ら実験台になることを申し出たと言われています。

薬の開発には20年もの長い年月がかかったようです。
その中で薬の効果を試すために何度も動物実験が行われました。

そして最終的には人に試さなければならず,その実験台に母と妻が選ばれたのです。

母親は死亡し,妻は失明という悲惨な結果となりました。
二人の犠牲があって「通仙散」は完成したのです。

世界初の全身麻酔の誕生秘話は美談なのか

二人の犠牲を伴うことで開発された全身麻酔薬「通仙散」
人体実験ともいえるこの犠牲の是非について考えてみます。

是非を考えるにあたっての材料をいくつか挙げてみます。

・母親と妻は自分から実験台になることを申し出ている。
 (その他にも親族から数名実験台を申し出た人がいる。)
・人体実験を行う前に,十数年間,薬の原料の調合,適切な量の調整を行っている。
・人体実験を行う前に,何度も動物実験をしている。
・完成させるには,人体実験を最終的に行わなければならない。
・当時は麻酔がないので,麻酔を使わない手術が行われており,患者が苦しみぬく様子から,麻酔薬の開発が切望されていた。
・全身麻酔薬が開発されれば,多くの命を救うことができる。

華岡青洲が行った全身麻酔を使った手術の成功という偉業はすぐさま広まり,大変な偉業として評価されました。
その後多くの医師たちが彼のもとを訪ね,1000人以上が麻酔薬の使い方を学び,「通仙散」を用いた手術が多く行われました。

現在でも,華岡青洲の業績は高く評価されています。

しかし青洲の業績は手放しでほめたたえてよいものでしょうか。

私はこう考えます。

・自分が青洲の立場だったならば,母と妻を犠牲にすることはできない。
・自分が青洲の立場だったならば,人体実験の対象を別に探す。例①②
①裁判で死罪が言い渡された罪人で,病気を手術が必要な者に使えるよう,幕府?など法を管轄しているところに訴え願う。
②手術をしなければ死んでしまう患者に,初めて麻酔薬の効果を試すことを説明し,それに同意する者に使用する。

たとえ,この業績により多くの人を救うことになるとしても,病気でもない母親と妻を新薬の開発のために犠牲にしたことは間違っているのではないかと考えます。
間違っているというか,「よくそんなことができるな」と感じました。

歴史上,大義のためには愛する者を犠牲にするという話はよくクローズアップされることがあります。
私には信じられません。
(もちろん,青洲も母と妻に麻酔薬を試す際は断腸の思いであったと思います。それを考慮しても)
飲むと死んでしまうかもしれない薬を愛する者に飲ませる・・・頭のネジが外れているようにしか思えません。

人は良い結果を残したものに対し,その過程への考察が甘くなります。
もし青洲の薬により,母も妻も,そして手術をした患者も亡くなり,なんの業績も残せなかったとしたらどうでしょう。
青洲はただのサイコパスな医師として語り継がれるだけです。
結果を残したから,評価されているのです。

結果的に多くの人が救われたことも事実です。
青洲が手術した乳がん患者143名のうち生存期間を見てみると,最短で8日,最長は41年,平均すれば約3年7か月となります。
診断機器がろくになかった当時,青洲が手術した乳がんは,外から見てそれとわかるような進行した乳がんばかりだったと考えられます。
それを考慮すると,この術後生存期間から判断するに,かなりの成功を収めたと言えます。

倫理的に非常に難しい問題です。
人によって考え方が分かれる問題かと思います。

立場によっても判断の仕方が大きく変わると思います。

・医者の立場
・患者の立場
・娘の親の立場
・家族の立場

私は,青洲のしたことを批判的にとらえました。
みなさんはどのように考えるでしょうか。

世界初の全身麻酔を使用した手術は青洲が行いましたが,世界的には近代麻酔の幕開けは,青洲の手術の約40年後のアメリカで起こったと考えられています。

麻酔がない時代は「アルコール」「アヘン」「催眠術」などが用いられていました。
麻酔効果はほとんどなかったようです。

青洲の麻酔薬は効果がでるのに数時間もかかりました。
危険性も高く,麻酔をかけた後に副作用が生じても何ら対処することができませんでした。

アメリカで開発された「エーテル」を使用した全身麻酔法は,青洲の麻酔薬よりもはるかに利便性が高いものでした。

近代的麻酔の幕開け

1846年アメリカの歯科医であるウイリアム・モートンが近代的な全身麻酔技術を初めて公の場で発表しました。
見学席付きの大きな手術室で,吸入式のエーテル麻酔を使用して見事に痛みのない手術を成功させました。

この成功はすぐさま全米へ,そしてヨーロッパへ広まりました。
その後は,エーテル麻酔による全身麻酔の利用が急速に広がり,手術件数も飛躍的に増加しました。
(実はモートンより前に,エーテル麻酔を用いた医師がいました。アメリカの医師ロングです。彼は1842年,患者の首のできものを切除するためにエーテル麻酔を使用して手術を行いました。本人がこの偉業を過少評価し,発表を7年後,モートンの発表の後に行ったため,彼の業績が日の目を浴びることはありませんでした。)

世界的に認知されている全身麻酔の始まりは以上のようになっています。

まとめ

全身麻酔が開発されるまで,手術時の患者の痛みは壮絶なものでした。
私は麻酔と手術をセットで考えていたので,麻酔がない時代に手術が行われることがあったという事実に驚くばかりです。

現在の私たちは先代の人々が成し遂げた偉業の恩恵を十分に受けています。
それでも,まだまだ病気のこと,人体のことについては未知のことだらけです。
これからもいろいろな犠牲を出しながら,一歩ずつ進歩していくことになるのでしょう。

科学技術の進歩はもちろん喜ばしいことなのですが,技術を生み出す過程で生じる犠牲,そして生み出した後の使い方については慎重に考慮しなければなりません。
このテーマはよく映画やコミック,物語の中でもよく扱われますね。

さて,再度うかがいますが,青洲の取った選択,あなただったらどうしますか?

 

【参考文献】
・高知赤十字病院医学雑誌 ~全身麻酔の始まり~ 吉見 誠一
・華岡青洲wikipedia
・和歌山県立医科大学付属病院紀北分院 華岡青洲の乳がん手術
・テルモ株式会社ウェブサイト 医療の挑戦者たち 全身麻酔手術・吸入麻酔の普及

4+
タイトルとURLをコピーしました