人は本能的欲求をこうして昇華させている!
スポーツチャンバラの体験
スポーツチャンバラを体験してみました。
この競技は防具をつけながら,弾力のある柔らかい棒で相手をたたくというスポーツです。
剣道よりも刀が軽くて扱いやすく,たたかれてもほとんど痛みを感じません。
夢中になれるとても面白い競技でした。
スポーツチャンバラは刀で打ち合う行為をもとにして作られた競技です。
剣道やフェンシングも同じですね。
言い方を意図的に変えてみます。
スポーツチャンバラ・剣道・フェンシングは,人を刃物で切り殺す行為をもとに作られたスポーツである。
どうですか?かなり印象が変わりましたよね。
決して嘘ではありません。
なぜ人殺し行為から生まれた競技が世界中で堂々と行われているのでしょうか。
リアルと仮想の違い
リアルに人が斬り合うのとスポーツとして一本を取り合うのとでは天と地ほどの差があります。
剣道もフェンシングもチャンバラも,リアルの斬り合いから「危険性」を完全に排除したものです。
毒蛇から毒牙を抜き取ったようなものです。
リアルの斬り合いは紛れもない暴力です。敵の命を奪うのが目的です。
一方スポーツには暴力的要素はありません。
相手と仲良く楽しむために行います。
両者は全くの別物と言ってよいでしょう。
仮想での斬り合いを楽しめる理由
楽しむ方法は他にいくらでもあるのに,なぜわざわざ人殺しをルーツにもつものが競技として流行したのでしょうか。
それは,人の心の奥に「戦いへの欲求」があるからです。
「それでは,人を斬りたいという欲求があるから,剣道やフェンシングをしているというのか! ふざけるな!」という声が聞こえてきそうです。
ずばり「YES」です。
欲求というよりは本能といった方がよいでしょうか。
積極的に斬り合いたいというよりは,危険を回避するための防衛本能から生まれたものであると考えます。
生物は生き抜くための行為を本能的に身につけようとします。
生き抜くための行為の中で「戦う」という行為は非常に重要です。
「戦う」という行為は「獲物を狩る」という能動的行為である場合や,襲われた際に「戦って身を守る」という受動的行為である場合があります。
フェンシング・剣道・チャンバラは「戦う」という行為に端を発しています。
スポーツとして行うフェンシング・剣道・チャンバラは,この「戦う」という本能的な欲求を昇華させるため,リアルでの戦いを安全で楽しめる形にしたものなのです。
「戦う」欲求をスポーツで昇華する例を示しましたが,人はその他にも多くの欲求を安全な他の行為に変えて昇華させています。
人は欲求を他のものに代替させて昇華することができる
「戦う」欲求の昇華のさせ方について他の例を示してみます。
・「戦争ゲーム」 *テレビゲーム
これらも剣道やフェンシングと同じ理屈で,「戦い」を安全に楽しめるように形を変えたものであり,「戦う」欲求を昇華させることができます。
「戦う」欲求以外にも,人は多くの欲求を形を変えて安全に楽しむことができます。
ボードゲームの「人生ゲーム」で大金持ちになるのもそうですし,「恋愛映画」を見てヒロインになりきるのもそうでしょう。
欲求や欲望には,普段口に出して言えない負の要素をもつものもあります。
こうした「心の奥にある闇の欲求」の多くが,安全な代替行為や仮想行為により昇華されることで人は平和な社会生活を維持している面もあります。
仮想行為はリアルでの欲求を助長しないか
仮想行為がリアルでの危険な欲求を高めることになってはいないでしょうか。
・残虐なシーンがある映画を見る⇒暴力をふるいたくならないか。
・人やモンスターと戦うゲームばかりする⇒暴力的な性格にならないか。
・エッチな本やビデオばかり見る⇒性犯罪に走らないか。
リアルでの欲求が高まる場合もあるだろうし,高まらない場合もあると思います。
なんだかはっきりしない結論ですが,これが答えです。
圧倒的大多数の人はリアルと仮想の違いを理解して仮想の行為を楽しむことができます。
しかし,ごく一部に仮想行為とリアルの区別がつかない人もいます。
この場合,仮想行為自体が問題なのではなく,影響を受ける側の人間に問題があります。
「撃ち合うゲームをしたら,人を撃ちたくなった。」という人がいたら,その人は,そのゲームをしなくても,人を傷つける恐れのある人ではないでしょうか。
とはいえ,仮想行為を全て肯定するわけではありません。
ほとんどの人は,仮想行為の影響を真に受けないでしょうが,どこかしら影響を受けるかもしれません。
例えば,判断力の未熟な子どもは,大人に比べると,作り物であると見抜く目が育っていません。そのため,子ども向けの仮想行為の内容に関しては規制が必要です。
大人でも,例えばアダルトビデオの男優がしている派手なテクニックを鵜呑みにして真似をしてしまう愚かな人がけっこういます。
あまり良い例ではないですね・・・
とにかく,仮想行為から影響を受ける可能性もあることを理解しておかないと,今後,判断力が鈍る恐れがあります。
まとめ
どんな人にだって心の奥には自分勝手な欲求や汚い欲望が存在しています。
私たち哺乳類の先輩であるねずみは,恐竜や爬虫類の卵を盗み食いするなどして生き残ってきました。
もちろん,社会を築く人間をねずみと比べてもあまり意味がありません。
しかし,人間も同じ生物であることは忘れてはなりません。
生き残るための本能的欲求によって突き動かされている部分は必ず存在します。
人間は,社会生活を送るうえでマイナスとなる部分の本能的欲求でも,スポーツその他の仮想行為によって昇華してきました。
今後も仮想行為を活かし,健康的に欲求を解消し,争いを減らしていきたいものです。