死刑制度の是非について考える

相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で重度障害者と職員45人を殺傷し,殺人罪などに問われた元職員植松聖被告に対する死刑判決が2020年3月31日,確定しました。

こんなにも凄惨な事件を引きおこした犯人でも死刑制度のない国では死刑にはなりません。

死刑は「あり」なのか「なし」なのかを考えてみました。

死刑制度は正しいのか

死刑制度の是非
日本には死刑制度があります。
ただし,今現在存在している制度が必ずしも正しいというわけではありません。
時代によって正しいものは変化していきます。
2020年の現在,世界では死刑制度が残っている国の方が少数です。

日本の死刑制度の歴史

現在まで日本では一貫して死刑制度が存在しています。
古くは古事記の中に処刑についての記述がみられます。
江戸時代,大名によっては領内で死刑を廃止している藩もありました。
最近では1956年と1965年の2度,死刑廃止法案が国会に提出されたことがありました。
結果的にはいずれも成立することはありませんでした。

世界の死刑制度事情

国際人権団体アムネスティ・インターナショナルの統計では,2018年時点で正式に死刑を廃止した国は106カ国あり,事実上廃止した国を加えると計142カ国にのぼります。世界にある193カ国(国連加盟国)の7割ほどが死刑を執行していないことになります。
日本も加盟する経済協力開発機構(OECD)の36カ国に限れば,軍事犯罪をのぞく通常犯罪への死刑制度が残るのは日本と米国,韓国だけです。しかも韓国は長年執行していません。死刑を執行している国はアジアや中東に多く,インドネシアやサウジアラビア,イランなどイスラム教徒の多い国では,宗教的な理由で死刑が続いています。一方で,死刑に反対の立場をとるカトリック教徒が多いアルゼンチンなど南米の国々は,廃止に踏み切ったケースが多くあります。欧州ではすでに,ベラルーシをのぞくすべての国が廃止しました。
(出典元:朝日新聞デジタル記事)

この記事からわかるように,国数では死刑廃止派が多数派です。
しかし人口単位でみると,中国,インド,アメリカ,インドネシアなど人口が多い国で死刑が執行されており,死刑執行派が若干ですが多数派となります。

国連が死刑制度廃止を訴える根拠

国連総会は,2007年,2008年,2010年,2012年,2014年,2016年,2018年に,死刑廃止を視野に入れた死刑執行停止を求める決議案を賛成多数で採択し,まだ死刑制度が残っている国に対して死刑廃止を求めています。

死刑廃止を訴える大きな根拠は以下の3点です。

1.死刑制度に犯罪を抑止する効果はない。
2.冤罪の危険性がある
3.死刑は人権を侵害する行為

死刑制度は凶悪事件を減らすのか

国連は死刑の犯罪抑止力についての調査をした結果,死刑と終身刑を比較して死刑の方が終身刑よりも凶悪犯罪の防止に効果的か否かは実証できないとの報告を行っています。
世界の中の他のデータをみても,死刑制度が凶悪犯罪を抑止するのに効果があると証明するものはありません。
直接的な因果関係を証明するのは難しいのですが,国民の暮らしが豊かになったり社会のインフラがきちんと整備されたりすると凶悪犯罪の発生割合が減少しています。

冤罪の危険性について

冤罪はもちろんあってはならないことです。
しかし,冤罪が起こりうるから刑は執行しないというのは本末転倒な理屈です。
この理屈が通るなら,些細な量刑などを含めて全ての刑が執行できません。
何かイレギュラーなことが一つでもあるから,システムを構築しないというのでは社会の仕組みが築けません。
システムを構築したのち,イレギュラーな事態への対応策を講じればよいのです。
過去には,違法な捜査や恣意的な捜査によって冤罪が作り出されるというとんでもないことがありました。
このような事態を防ぐために,誰もがわかるはっきりとした証拠が得られない場合は死刑判決を下してはいけません。
冤罪は幾重もの予防策を講じることにより防いでいく必要があります。

凶悪犯の人権(生存権)は守られるべきなのか

死刑制度の是非を検討する際に,最大の焦点となるのがこの点です。
人を殺した人間の人権についての問題です。

国連の協議団体であり,世界最大の人権団体であるアムネスティー・インターナショナルの主張を以下に紹介します。

「生きる権利は,誰もが有する基本的な人権です。
「死刑」という刑罰は,この「生きる権利」を侵害するものであり,残虐かつ非人道的で品位を傷つける刑罰であると考えます。
人為的に生命を奪う権利は,何人にも,どのような理由によってもありえません。
国家さえもそれを奪うことはできないのです。
これが,生きる権利を保障する「人権思想」というものであり,アムネスティが抱いている理念です。」

この主張は正しいのでしょうか。

私は,理念としては素晴らしいと思うのですが,間違っていると思います。

「生きる権利」は基本的な人権であることに間違いはありません。
しかし,その最も大切な生きる権利を奪った「残虐な殺人」行為を行った人にもその権利は残っているでしょうか。国連は,どんなことをしようが「生きる権利」は不変であると考えています。
しかし「権利」はルールを守れない者からは剥奪すべきものです。
不変の権利はこの世に存在しないのではないでしょうか。

例えば車を運転する権利。
運転免許を取得すれば誰もが運転をすることができます。
しかし,運転のルールを守らなければ,違反した程度に応じて権利が制限され,最もひどい場合には運転する権利が剥奪されます。
危険な運転をすれば,他の人の生命を脅かしかねないからです。

権利ではないのですが,視点を変えて人の信用度について考えてみます。
うそをついたり,人をだましたりすれば人の信用度は下がっていきます。
それを繰り返せば最後は誰にも信用されなくなってしまいます。
うそをつきまくれば信用度を失うように,ルールを破りまくれば権利は失われるべきです。
たとえ「生きる権利」であろうと,他の人の生命を奪うような罪を犯せば,権利を失うのが妥当です。

人を残虐に殺した(現状日本国内で死刑判決が下るような内容の殺人)人には,他の人と同じような人権はないと私は考えます。

犯人の射殺と死刑制度廃止の矛盾

死刑制度を廃止している国でも,事件を起こした犯人が銃を所持している場合,射殺することがあります。
犯行時の犯人射殺と死刑制度廃止は並列して考える問題ではありません。
死刑は,裁判で罪が認定されたうえで法に基づいて刑を執行する行為です。
それに対し,射殺は単純に現場で犠牲者を出さないために犯行を制圧する手段です。
両者は,理論上は別に考えなければならない問題です。
しかし理屈はどうであれ,「射殺」も「死刑」と結果的には同じ処置をしています。
人権擁護を盾に高らかに「死刑制度廃止」を掲げていても,裏では犯人をばんばん射殺しているのなら,人権擁護の理念はハリボテと言わざるを得ません。

まとめ

死刑制度という重いテーマについて考えてみました。
このテーマは誰もが一度は真剣に考え,自分なりの考えを持たなければならない問題です。

私は今のところ死刑制度を肯定しています。
しかし,もし死刑制度があることが紛争や戦争の発生につながっているなど,世界の平和にとって大きなデメリットにつながっていることが立証されるならば意見を変えます。
死刑制度があることにより,他の多くの犠牲者が出てしまうようなら制度を廃止することにメリットがあるからです。

ただそのような場合でも,もし自分の家族が犠牲になった場合はどうでしょう。
とても死刑制度廃止に賛成することはできません。
当事者である遺族のほとんどの方は死刑制度廃止に賛成することはできませんよね。
ただし,死刑という法律を定める際に,遺族感情だけを基準に考えるのは間違っています。
人権・社会への影響・遺族感情など様々なことを考慮しながら考えなければいけません。

最後に・・
世界の国々の中には,法治国家の体を成し得ないような国もあります。
そうした国では,統治者の都合で恣意的に死刑を実施するような危険性も大いにあります。
国連が死刑制度撤廃を唱える理由として,このような危険性を排除する意味も大きいのかもしれません。
私は日本においては死刑制度を肯定しますが,さまざまな事情を抱える世界の国々を見ると,簡単には肯定できないところもあります。

人の命を左右する大問題。
あなたは,死刑制度についてどう考えますか?

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