縄文時代にあこがれて竪穴式住居や土器を作ってみた

小学校6年生になると,初めて歴史の勉強をします。
歴史の勉強は縄文時代と弥生時代からスタートします。

私は小学生の頃,縄文時代について勉強すると大きな衝撃を受けました。
車も,テレビも,冷蔵庫も,コンビニも,何もない中で人々が豊かに生活していた様子に驚いたからです。

生活に必要な道具を全て手で作り,その日食べるものを狩りや採集により手に入れるスタイルに心がざわつきました。

学校での歴史の学習は,平安,鎌倉と進んでいくのですが,私の頭の中は縄文時代で時が止まっていました。

縄文人にあこがれて試してみたこと

縄文時代にあこがれて

縄文時代にあこがれるあまりに,縄文時代の道具や食べ物を試してみることにしました。

人には内緒でいろいろとやってみました。
なぜ内緒かというと,縄文時代にあこがれていることが,何となく恥ずかしいことのように感じていたからです。

竪穴式住居

近所にわりと大きめの森がありました。
学校から帰ると,毎日森の中を5分程歩き,民家から離れた場所までやってきます。

まずは竪穴式住居を作ってみることにしました。

大きな木の枝を大量に用意したり,竪穴を苦労して掘ったりしました。
この森にはU字型に曲がっている太い枝が多く落ちており,屋根の部分を作るのに適していました。

完成までにおおよそ1か月程経ちました。
歴史の資料集に載っている竪穴式住居に比べると見劣りしますが,小学生1人が思い付きでつくったにしてはかなり立派なものができました。

後に,誰かに発見されて近所で「竪穴式住居」があると話題になりました。
自分の小学校にもその噂が届きました。
私が作ったことは最後まで誰にも明かしませんでした。

作ってみて感じたことがあります。
雨風や虫の侵入を防ぐためには隙間をなくさねばなりません。
住居の基本的な骨組みはある程度すぐに作れるのですが,隙間をなくすためには大量の木材が必要になるということです。

現代の家に比べると簡易な建物とは言え,家族数名が長期的に暮らす住居を作ろうとすれば,作成にかなりの日数を要することになります。

土器

私が住んでいる場所の土は粘土層でできていました。

粘土層の中でも粘土が多く含まれている場所の土を取り,土器を作ってみました。
普通の土だとぱらぱらとすぐに崩れてしまうのですが,粘土層の土は粘りが強く,土器の形に整えても安定しています。

完成して乾かした土器を実際に焼いてみることにしました。
週末に親が焚火をするときがあったので,その火の中に入れて数時間焼いてみました。

完成!

焼きあがるまで,ドキドキわくわく

仕上がりは・・うーん,理想的な土器とは言えませんが,まあ合格点です。

教科書に載っている土器に比べ,表面がざらざらしてでこぼこです。ところどころひびが入っています。

強度を確かめてみると・・・力を強く加えると割れてしまいました。
火の温度が足りないのか,粘土の質が悪いのか,ちょっとがっかりしました。

火起こし

ライターやマッチを使わずに火を起こす!
私は,この火おこしに強いロマンを感じていました。

人類を人類たらしめた発明である「火」

何もないところで火を起こせれば,無人島にたどりついても生きていける!と考えました。
(小学生のころ,なぜか自分はいつか無人島に流されるという妄想を抱いていました。)

最初は,木の棒をひたすら木の板にくるくるとこすり合わせてみました。
30分やってみても火は付かず,あきらめました。

次に,ひもと木を利用して火おこし器を作って,こすり合わせてみました。
木の棒だけのときより,数十倍効率よく摩擦を起こすことができます。
30分やってみても火はつきません。

木くずや枯葉をまわりにまぶしながら,再度挑戦。
煙は出るのですが,火はつかず,その日はあきらめました。
(後日,何度か試すと,苦労はしますが火をつけられるようになりました。)

石器

石器なんて簡単に作れるものだとたかをくくっていました。

石を割ろうとすると,なかなか割れません。
でかい石同士をがつんとぶつけると割れるのですが,あぶないあぶない。
鋭利な形の石を作り出すのにかなり苦労しました。

次は作った石を木の棒にくくりつける作業です。
なかなかうまくくっつきません。すぐに取れてしまいます。
木の棒の先端に石のでっぱりをくいこませつつ,ひもで結びなんとか中途半端な石槍を作ることができました。

一番うまくいかなかったのは,弓づくりです。

U字型に曲がっている枝にひもをピンと張って作ってみました。
思ったように矢はとびません。
5メートルくらい不規則な方向に進むだけ。
本当に弓でイノシシや鹿をしとめることができるのかと,疑問を抱きました。
*後に,弓道やアーチェリーを試したときに,弓の完成度の高さに舌を巻きました。

まつぼっくりをかじってみた

縄文人は木の実を採集して食べていたということで,ドングリの実を粉にしてクッキーを作って食べてみました。食べられないことはないのですが,美味しくはありません。

自分でも何か食べられるものを発見してみようと,目をつけたのが「まつぼっくり」。

まだ,実が緑色の状態のときにかじってみることにしました。
なんとなく,おいしそうに見えたのです。
これがとんでもない誤解であることを数秒後に思い知ることになりました。

「ギャー!!」

とんでも苦さです。
舌がすさまじくしびれます。

これは,おそらくかじった者にしかわからない苦さ。
あらゆる苦みのある食品を凌駕する,圧倒的な苦み。
カラムーチョなんてマツボックリに比べれば児戯に等しいです。

その後3時間もしびれがひきませんでした。
マツボックリはもともと食べ物ではありませんが,遊びでもかじるのはやめておきましょう。

野生のイノシシと鹿の肉を食べる

マツボックリにこりず,縄文人が食べていた野生のイノシイと鹿の肉を食べてみました。
本の中に縄文人は野生のイノシシと鹿の肉を大変好んでいたと書かれていたからです。

現在でも活躍している猟師さんが仕留めたイノシシと鹿の肉を料理するお店で食べてみました。
いわゆる「ジビエ」というものです。

「うーん・・・・」

美味しくないですね。肉がぱさぱさしていて硬い。それに独特の臭みが気になります。

「縄文人はこの肉が大好物だったのか・・・」

おそらく,縄文人がアンガス牛のプレミアムステーキなんて食べたらショックで目玉が飛び出ますね。

まとめ

小学生の頃の思い出を書いてみました。

何でも気になったら自分で試して納得してみたいという子どもでした。
逆を言えば,自分が納得しないものは絶対に受け入れないという頑固な面がありました。
(今でも多少そうですが。)

一見、単純そうに見える縄文時代の道具たち,実際にきちんと使えるレベルにするためにはかなりの時間がかかったのではないかと思います。

石槍や弓だけとってみても,実用的なものが生み出されるには数百年単位(もっとかも)で改良を重ねてきたはずです。

私たちは,教科書や資料から学んだ原始時代の生活や道具についての一通りの知識をもっています。
しかし,仮に現代人が縄文時代にタイプスリップしたら大変なことになりますね。
知っている知識をいざ使ってみようとすると,ほとんどの面で壁にぶつかることになるでしょう。

「知識をもっている」のと,「知識を使いこなせる」のとでは,全くレベルが違うのです。

現代では,科学技術の進歩著しく,日々新しい技術が生み出されています。
しかし,日常の中で効率よく使いこなせるようにするためには,技術の改良や工夫が必要ですね。

いつか私たちの生きている昭和・平成・令和の時代も,未来の人間にとっては,歴史の授業で勉強するような日がくるのでしょうね。

平成人が使っていたPCが歴史資料館に展示されたりして・・・なんて日が。

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