安楽死について考える

安楽死とは、人に苦痛を与えずに死に至らせることです。
一般的に終末期患者に対する医療上の処遇を意味して表現されています。

安楽死の是非

安楽死は認められてもよいのではないか

日本では法律でも禁止されている通り,安楽死に対してマイナスなイメージを抱く人の方が多いようです。

私は安楽死はある一定の条件を満たせば認められてもよいのではないかと考えます。(健康な身体を持っているのに死を選ぶ自殺については別。完全に否定します。)

なぜそう考えるのかについての説明します。

その前に,参考として安楽死が世界ではどう扱われているのかについてみていきます。

世界では安楽死はどう扱われているのか

世界の国で現在のところ安楽死が認められている国はどれくらいあるのでしょう。

スイス
アメリカの一部の州
オランダ
ベルギー
ルクセンブルク
カナダ
オーストラリアのビクトリア州
韓国

思ったより少ないですね。
では,安楽死が認められた国で実際に安楽死を望む人はどれくらいいるのでしょうか。
オランダでは,死因の4%が安楽死によるものです。
これはすごい割合だと思いませんか?100人に4人は安楽死をしているのです。

安楽死はどんな場合に行われるのか

安楽死が認められている国で,安楽死はどんな場合に行われるのでしょうか。国によって多少の違いはあるかと思いますが,大筋は同じようです。
スイスの場合を例に挙げてみます。

①不治の病気
②耐え難い障害や苦痛を抱えている
③直接生死に関わる病気ではないが、治る見込みがなく、
QOL(生活の質)の著しい低下が明らかに見込まれる疾患
*未成年者、判断能力がない人、深刻な身体的苦痛のない精神病
患者は除外される。

私が安楽死を否定しない理由

次に,本題である安楽死の是非について考えてみますね。

ある人が,もう治る見込みがなく,余命を宣告されたと仮定します。

我々健康な人間からすると,余命を宣告されようが,残りの寿命を一日一日大切に過ごせばいい!と感じることでしょう。
しかし,不治の病で,日々痛みや体の不調と戦っている,いわば死にかけている人は,実際は精神的にすっかり弱りきっています。そのような人の中で,死ぬ瞬間までがんばろうという意思を持っている方は一体どれぐらいいるのでしょうか。痛みを取る薬(最も強度の高い麻薬性鎮痛薬など)を使用しても,効き目がなく,日々生きていても苦しいだけの人は,もう白旗を挙げ,病による痛みや無力感から解放されたいと願うことは自然な感情ではないでしょうか。

そこで安楽死を望んだとします。
それは罪なことですか?
もしくは人生に敗北したことになりますか?

私はそうは思いません。

生きる気力を失い,痛みに苦しみ続けている毎日・・・,そして,それは日を追うごとに増していく。
人間としての尊厳を失いつつある日々。
もうこのような状態の人に,「がんばれ!」「負けるな!」と声をかけるのは残酷な行為なのではないでしょうか。
わずかでも気力や意思がしっかりしているときに安楽死を選択し,死ぬ瞬間を自分で決め,家族や友人と別れ話をしてから安らかな死を迎えるというのは私は悪いとは思いません。
私個人の考えとしては,本人がどうしても死ぬときを自分で決断したいというなら,それは尊重されるべきなのではないかと思います。

まとめ

この問題には正解も不正解もあるわけではありません。
人によって,さまざまな考え方があって然るべきだと思います。

人生は,生まれてから死ぬまで,周りの人に世話になり生かされています。自分一人の力では生き抜くことはできません。
そうだとしても,人生の大きな決断は自分の意志で行うべきです。
あなたはこの問題をどう考えるでしょうか。

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