文科省が定めるいじめの定義の間違い

平成18年から文部科学省による「いじめの定義」が以下のように変更されました。
「いじめ」とは、「当該児童生徒が、一定の人間関係のある者から、心理的、物理的な攻撃を受けたことにより、精神的な苦痛を感じているもの。」とする。

これって,わかりやすく言いかえると
「本人がいじめられていると感じることは全ていじめとしてカウントされる。」
ということなんです。それはいじめの定義として正しいものでしょうか?

いじめの定義

いじめの定義の大きな間違い

いじめの定義が大変身!

現に学校現場でいじめの認知件数を調査する際には,到底いじめとは考えられないようなケースでも,本人が少しでも精神的に苦痛という項目に〇を記入すれば,いじめと判断しなければならないことになりました。この「少しでも」というところに非常に問題があります。あくまで本人による自己申告(アンケートなどの結果)に基づき,いじめを認知することになったため,程度を考慮できないのです。

この理屈って間違っていませんか?

以前は,いじめかどうかは「いじめられた子どもの立場に立って大人が判断すること。」となっていました。
いじめかどうかは最終的には大人が判断するということです。ごく自然な決め方だと感じます。

この定義の仕方が改められ,本人が申告したもの全てをカウントするように変わったため,いじめの件数が一気に膨大な量に膨らみました。
この事情を知らない人が,いじめ認知件数のグラフなどを見たら,最近の子どもたちは昔の子よりも「いじめ」が頻繁に起こる修羅のような世界を想像してしまうかもしれません。

*そんなことは全くありません。むしろ実情は昔よりもいじめはずっと少なくなっています。

本人がなんらかの精神的苦痛を感じているのならその内容をヒアリングし,原因となっているものや状況を取り払うことが必要です。
しかし,幼児・児童・生徒たちは,まだまだ精神的に未熟な状態です。
自分を困らせているものが「いじめ」であると正しく判断できない子どもたちもたくさんいます。

いじめかどうか正しく判断できないと想定される例

 

例を出して考えてみましょう。

わがまま放題のAさん

あまりわがままを言うものだから,他の友達から次第に相手にされなくなっていった。Aさんはいじめに関するアンケートに次のように書いた。
「みんなが僕を無視する。」
⇒いじめとして認定!

なんでも悪い方に考えてしまうBさん

クラスの子が「Bちゃんの絵って,みんなと違っていて普通じゃないねー。」
クラスの子はBさんの絵をほめたつもりだった。
Bさんはいじめに関するアンケートに次のように書いた。
「〇〇さんが私の描いた絵をバカにした。」
⇒いじめとして認定!

よく人をねたんでいるCさん

運動がクラスで一番できる子をねたみアンケートに次のようにうそを書いた。
「〇〇さんからひどいいじめを受けています。」
⇒いじめとして認定!

両親がけんかを繰り返すため精神的に不安定なDさん

いじめのアンケートに次のように書いた。
「〇〇さんからいつも嫌がらせをされて困っています。」
〇〇さんはいつもDさんに優しくしてくれる子。
だから本当はDさんは〇〇さんのことが好きなんです。
Dさんは自分でもなぜかわからないのだが,〇〇さんが困るようなことをアンケートに書いてしまった。
⇒いじめとして認定!

*精神的に不安定な人の中には,自分が好きな人,自分に優しくしてくれる人を困らせようという行動をとるときがあります。

小学校1年生のEさん

休み時間に友達とちょっとしたけんかをしてしまった。
お互いに「バカ」だの「アホ」だの言い合った。
お互いに相手を押したりした。
次の日Eさんはいじめのアンケートに次のように書いた。
「〇〇さんからひどいことを言われます。暴力も振るわれています。」
⇒いじめとして認定!

自己申告を全ていじめとして認知することの弊害

上に挙げた事例が「いじめ」でないことは誰でもわかります。
しかし現在の学校現場ではいじめの認知に関してまっとうな大人の判断が下せません。どんなに一方的な言い分でも「精神的な苦痛を感じている」と本人が訴えればいじめ発生!となるのです。

このような欠陥だらけの「いじめの定義」,一体どんな人たちが決めたのでしょう。私にはこの決定が正気の沙汰とは思えません。

子どもたちの人間関係はまだまだ未熟なところがいっぱいあります。
未熟だからこそ学校に来て勉強したり,友達と遊んだりけんかをしたりしながら多くのことを経験するのです。

本当のいじめは一部であり,その本当のいじめを見逃してはいけません。
あれもこれもいじめと認定し指導していたのでは,本当のいじめを見逃してしまいかねません。

また,何でもいじめとしてとらえるならば,お互いに離れて暮らさなければりません。ちょっとしたことで「被害者である」と訴える人とのそばには特に近寄れません。
子どもたちは,言い合いやケンカも含めたコミュニケーションの中で自分でも気づかなかった自分の感情を知ったり,相手の個性に気づいたり,自分だけのわがままは通らないことを知ったりするのです。

まとめ

「精神的な苦痛を感じている。」とアンケートに書いた児童が,どんなことで困っているのかを聞き取ることは大切です。
ただし,それがいじめによるものかどうか,最終的には大人が判断しなければなりません。

「先生によってはきちんと判断できないのでは?」

そんなことを始めから考える必要はありません。
もしそう思うならご自分のお子さんを学校に通わせるのはやめましょう。
もしきちんと判断できない先生がいた場合は,それに対して必要な対応をすればよいのです。

ごくたまにメディアに「先生がいじめに全く気付いていなかった。」「先生がいじめに加担していた」なんていう記事が出ます。

そんなことは本当にごくごく一部の例です。

問題を起こした「先生」個人です。
その「問題を起こした先生」という言葉の中に,全国うん十万人の「問題を起こしていない先生方」を含めて考えるのは,はっきり言って人権侵害ですよ。

ほとんどの先生方は子どものため・・というか,一社会人として,先生という仕事に真面目に取り組んでいます。

子どもの自主性を生かすところと,大人が導いて挙げなければならないところの区別はしっかりつけなければいけません。
文科省が定めた現状の「いじめの定義」は訂正されるべきです。

1+
タイトルとURLをコピーしました